野球に必要な不安

前回練習のミーティングで話した「野球に必要な不安」について補足します。野球に必要な不安とは「努力に繋がる不安」です。ゴロが捌けない,キャッチボールが出来ない,等の技術事への不安は,野球に必要な不安ではないと思います。なぜならそれらの不安は努力ではなく時間によって解消されるからです。練習においてエラーや思い通りのプレーが出来ない事は,前提として「ダメ!」という状態にあるわけですから,マイナス(ダメ)をゼロ(オーケー)に引き上げる力は,時間の力です。しかしこの時間の力を「努力」と見誤るケースがほとんどではないでしょうか。
では本当の努力とは何か。それは何一つ不自由ないと「見える」状況から,不安を紡ぎだす力です。「本当にそれで良いのか」「もしこのケースで敵がこういう手に出てきた場合,本当にそれで対応できるのか」などの想像を常に働かせ,常に現状の自分を疑い続ける姿勢です。この姿勢を持てば,今現在はゼロ(オーケー)だったものがマイナス(ダメ)に引き下げられ,後は時間の力によって,引き上げられていくのみです。結果的にはゼロ(オーケー)からプラス(グッド)に引き上げられているのです。
「上手くなりたい」,「いいプレーをしたい」といった典型的な人間の感情は,やはり典型的な行動に移行する過程で,流れは非常にオートマッティックであり,まさに「時間の問題」です。それが練習です。‥‥一方努力は,流れに逆らうことを要します。
私は,野球が上手くなるために努力をするのではなく,努力をするために野球をしていくべきだと考えます。努力する方法を探すのが野球なのだと思います。

練習試合(10月14日・瀬田クラブ戦)

練習試合を受けていただいた瀬田クラブさんには本当に感謝します。
試合は残念ながら9−4で破れましたが,8回(9回のエラー絡みでの5失点)まで4−2のスコアで戦えた点は,大きな収穫だったと思います。5回3失点以内というクオリティースタートが切れた点については,キャッチボールの大切さという,基本を徹底して練習した成果だったと思います。ただ細かい連携ミス,配慮を欠いた声かけ,など基本がまだまだであるという課題を残した試合でもありました。
しかしこれで「戦える」という手応えを十分に感じ取ることが出来ました。ロースコアでの試合展開もそうですが,一番の理由は,チーム全員が「基本」というもっとも難しい課題に取り組み,それを試合で表現しようとしたことです。
試合を終えて,これまで漠然とあったチームの課題がくっきりとした形で現れ,それを克服する為の指針が固まりました。いわば課題の解像度がアップしたのです。守備・打撃・走塁など全ての面で,自分たちが考え結論に至った野球観を基に,具体的な課題に取り組んでいけば,必ずや「勝利」を,さらに言えば「勝利する喜び」をもたらすことが出来ると思います。
最後に一言。「魅力的なチーム」とは何でしょうか?掲示板でテーマにもなった内容です。やはりそれはチーム全員が野球やチームに対する愛着・情熱を,「勝利」という目標の下に持ち続けることなのです(この私見は,誰が何と言おうと間違いがありません)。そうすればこちらが意識せずとも自然に外部から「良いチーム」として認知されることも,今回学びました。あくまでも「勝利」が我がチームの目標なので,今回は目標達成に至ってはいません(これは厳然たる事実なので忘れてはいけません)。しかし勝つための試行錯誤・努力が,確実な前進の一歩だったことは,皆これからの励みにして良いと思います。

勝つための論理とは

いつもながら,チームを強くすることについて考えています。野球に限らずあらゆるスポーツで,強いチームが勝つ,のではなく勝つチームに「強さ」の称号が自動的に与えられるのです。論理の順序は「勝」→「強」が正しいです。しかしながら日本語の「強」と「勝」とが親密な関係にあり過ぎて,しばしば誤って用いられるのが,「強いから勝つ」というワンステップの論理です。そのチームが強いか否かを判断する材料は,試合の結果以外には本来ありえないはずです。「強い」という概念があまりに抽象的であるが為に,私は「強さ」は勝つための条件には不適だと考えています。したがって勝利の為に本当に必要なのは,「強さ」ではなく「勝つ為の方法」だと思うのです。
一般的に言われている,球歴・筋肉・肩の強さなどの選手の「強さ」を表す指標は,生命保険の団体割引のように,最低限の担保によって保険料(負けるリスク)を僅かに下げているに過ぎないのです。保険料の値下げが「強さ」であるなら,そんな度量の狭い話が,勝利に繋がるはずはないでしょう。
一方「勝つ為の方法」については,「方法論の模索」なので未来への無限の可能性を秘めています。「強くなろうとする過程」もここに含めてよいと思います。練習を「勝つ為の方法」を模索する純粋な場にすることが出来れば,これ以上のことはありません。そして「強いから勝つ」ではなく,「勝利する為の方法があるから勝つ」というチーム作りをしていきたいと強く思います。

合宿を終えて

合宿等を通じて築かれたチームの結束力を,単なる精神的一体感という「甘ったるさ」に貶めないためにも,今後のチームの目的・方針等をここで整理したいと思います。
チームの目的とは,最終的に試合において「勝利すること」です。この目的達成を妨げる障碍を少しずつ取り除くのが練習であり,チームの運営です。今回の合宿で得られた成果の,「寝食を共にすることによる互いの理解」とは,野球という共通の目的を持った者同士の技術的一体感であり,あるかなきかの「心の紐帯」である筈はないのです。もともとチームワークとは,共通の目的を持った者同士の理性の喜びであり,野球をやる喜びすらが,この喜びの前では卑小なものになりえます。そして選手の観点に立てば,野球を行うことの誇り・自信とはこの「真のチームワーク」を保持しているかどうかに,掛かってくると思います。
高校野球等を見ても判るとおり,本当に強いチームとは,「技術の集合体としての強さ」ではなく,「技術という誤解によるシナジー効果」を有効に活用していると思います。技術的に優れた選手が二人いても「1+1=2」ですが,このシナジー効果を使えば「1+1」の答えは3にも4にもなり得ます。この数学の掟を破った,いわば超数学的な原理こそが,京都グランドスラムのスローガン「執念の全員野球」に他ならないのです。初勝利を目指して頑張りましょう。

練習へのモチベとは‥‥。

ありがちな「苦しむための練習」だけが,個人に達成感を与えます。練習において達成感など本来不要なのです。もちろん練習での試行錯誤や,思いがけないハードルなどに直面したとき,それをクリアする過程で,小さな達成感は瞬間的に得られるでしょうが,次の瞬間にはまだまだ上を目指せる自分(=下手な現状に打ちひしがれる自分)に目覚めて,向上心を持つのが選手っていうモンです。
試合や練習においてダメだったことは自己嫌悪に直結しなければなりません。自己嫌悪こそが,同じ過ちを繰り返させない原動力となるのです。自己を省みず他人ばかりを否定していては,良い選手になれよう筈もありません。
つまり選手であることの最低限の条件は「向上心」を持つことですが,そのためには「不安」と親しくなることが大切で,「藁にもすがる思い」や「居たたまれなさ」などの不安を表す表現の裏側には必ず,人間の行動力が隠れています。つまり大切なのは現状に対して「不安」を感じられる感受性があるかどうか,です。練習の方法論はハッキリ言って二の次です。‥‥この感受性は教えられて備わるものではなく,個人のあらゆる模索,あらゆる葛藤,あらゆる自己嫌悪などから生まれてくるものです。
野球を続ける理由で,「野球が好きだから」とよく耳にしますが,私には「野球を続けるから続ける」と言っている循環論法にしか聞こえません。では「野球を続ける」ということの正確な意味は何でしょうか。答えの一例として示したいのが,「野球が上手くなりたいから(=下手だから)」です。先に述べた「否定されることを恐れない心性」を持つ選手だけが必要であるという,私の話はこの為です。

公式戦を2試合終えて


練習が勝つことを目的としている以上,試合で勝たなければ練習自体も否定されることになるのです。逆に勝利を意識した練習をしてこなかった場合,試合で負けても練習は否定されたことにはなりません。ところで練習に費やす時間・手間・費用等を考えると,練習を否定されることは自分たちの存在価値を否定されるのと同じ意味です。ここで言う練習とは,内容・様態・モチベーション・姿勢等の野球に関わる行為全てを意味します。
「負けて否定される練習」と「負けて否定されない練習」‥‥この二つの違いは,練習に臨む意識の高さの違いに他なりません。弱いチームの「弱さ」とは,意識が弱いのです。自分の存在価値を肯定しようとする弱さ,です。ここで言う「負けて否定されない練習」とは,「負け」という結果の側から「あの練習では負けても仕方がない」という自分たちの過去を逆算しようとする卑怯な手法を意味します。時系列のすり替えは未来の側からは容易です。したがって「負けて否定されない練習」とは,本当に言い訳の利かない現在の側から捉えたとき,論理的に不可能になってしまいます。
2試合の公式戦で大敗を喫して,対戦相手の強さを差し引いて考えたとしても,このチームは全存在を否定されなければならないのです。この現状を肯定していてはいつまでも強くなりません。否定を恐れるのは「弱さ」ですから。
つまりこういうことです。敗戦した以上,毎週日曜日の練習,時には夜間練習での努力はすべて否定されなければならないのです。いや正確に言うと,否定されるのです。それぐらいの気概で練習というものに臨まなければならないのです。
‥‥こういう,チームとして当たり前のことを言うのが遅すぎたことを監督として大いに反省します。申し訳ないです。そしてチームの意識を変えることが出来なかった場合,私も辞める覚悟で以って練習に臨みたいと思います。

勝利至上主義

プロ野球等の裏金問題の背景の一つに「勝利至上主義」がある,などと新聞の社説によく書かれています。確かに節度なく優れた選手を獲得しようとする球団の姿勢は,「勝利至上主義」という名のアンフェアとして糾弾されてしかるべきでしょう。戦力の均衡が「面白い野球」を作り上げることを信じたドラフト制度の是非はともあれ,そのような制度下での「ルール違反」は良くないと,私も思います。
ただし,こうしたグラウンド外での「アンフェア」は,グラウンド内での「アンフェア」にダイレクトに繋がる訳ではない,ということは肝に銘じておかねばならないでしょう。「勝つために手段を選ばない」という言葉のレベルも様々で,まずは選手をリクルートする段階では悪いこととされています。それがグラウンド内でのプレーの段階で,例えば強打者を歩かして勝負を避ける,などといういわゆる「フェアプレー精神」に乗っ取らないない形で表出したとき,本当にそれが「勝つために手段を選ばない」と言えるのかどうかです。4番打者の敬遠は,私にはどう考えても「勝つために手段を選ん」でいると思われます。敬遠自体が立派な「手段」ですから。
戦力の均衡が「面白い野球」を作り上げるという福祉的な見地は,見方を変えると,戦力的に明らかに見劣りするチームが強者を倒すために手段を選ばない(私に言わせれば手段を選んでいるのですが)野球を遂行することを,肯定しているように思われます。

3月25日京都教育大戦中止

今度こそはと京都教育大戦を楽しみにしていたのですが,またしても雨にやられそうです。クラブチームは活動日が限られるため,雨による中止は大きな痛手となります。しかしこのことは,練習時間が限定的であればこその,チームとしての特色を生み出すチャンスでもあります。もちろん個人の頭の中で,です。
生み出すべき特色は次のとおりです。
①勝つために考える
野球という団体スポーツにおいて,個々の実力差を勝負するだけなら,ゲームをすることの価値は半減します。実力の差で勝つことと,勝利への工夫で勝つこととではどちらが野球の醍醐味ですか。当然後者です。勝つために一定レベルの実力が必要なのも残念ながら事実です。しかし,限定的な練習時間での実力アップには限界があります。そこで必要なのが頭を使った野球,ということになります。具体的には状況によってどういうプレーをすべきなのか(リスクを犯す可能性)を考えて判断することです。イニング・アウトカウント・ボールカウント・打順などの要素を踏まえて,端的に言えば確率のもっとも高い方法を選択する,ということです。
②エラーとミスの違いを認識する
エラーとは「下手」ということです。ショートバウンドが捕れない,フライが捕れない,‥‥などです。これは練習不足が原因なので,練習を重ねれば将来確実に出来るようになることなので,極端に言えば深刻に捉える必要はないのです。問題はミスです。ミスとは試合中に「ぼーっと」していることです。例えば「2アウト,ランナー1・2塁」の状況でゴロを捕った3塁手がファーストへ暴投というシーンがあるとしましょう。これは一見暴投という結果だけを見て「エラー」と判断されがちですが,私に言わせれば,ボールを投げずに3塁ベースを踏むというリスクの少ない選択が出来なかったという「ミス」です。先日の滋賀県大戦で言えば,バックホームからの挟殺プレーでオールセーフ‥‥完全に「ミス」です。あれは野球技術云々ではなく,挟殺プレーでは必ず大きい塁から小さい塁へ追い込む,という基本をおろそかにした結果です。さらに言うなら野球とはいかに相手に点を与えないかを競うゲームであるという,大前提を無視して,目先の1アウトを取りに行った結果と言うことも出来ます。大切なことは,「エラー」の克服には練習の絶対量が必要なので時間が掛かるが,「ミス」の克服は一晩悩むことで出来てしまうこともあるということです。だから結果的に見て不本意なプレーをすべてエラー,つまり下手であることに集約するのは危険なのです。守備・打撃両方において自己の「ミス」ときっちり向き合い,またチームメイトのエラーとミスの違いをはっきり認識することが出来れば必ずや素晴らしいチームになります。
③全員が「チームとして勝ちたい」と思うこと
ピッチャーは防御率にこだわり,打者は出塁率にこだわること‥‥コレに尽きると思います。ピッチャーとは,ピッチャーである以上打たれるなり何なりで点を取られるのは当たり前のポジションだと思います。良いピッチャーかどうかの分かれ目は,その最初の失点を許すかどうかではなく,その後のピンチをいかに最小失点で切り抜けるかに掛かっていると思います。崩れるかどうかは,精神論ではなく,私は基本的に投球フォームの問題だと考えているので,上手くいかないときは必ずフォームの模索が必要になると思います。そして良い球を投げるピッチャーが必ずしも良いピッチャーではないということです。投球の間,リズム,コントロールなど,良いピッチャーを構成する要素は「球」以外にもたくさんあるということは解ってください。
打者についてですが,出塁率というと四球を選ぶ選球眼のイメージがありますが,それだけではありません。最終的に打たなければランナーを本塁に迎え入れることは出来ません。チャンスではピッチャーが甘い球を投げてくる確率が最も高いカウント,これを意識する必要があります。0-0,0-2,1-3などです。このカウントでは狙い球(球種・コース・高さ)を積極的に打ちにいくべきです。

京都府春季大会

photo3 去る3月21日,京都府春季大会の観戦に行ってきました。
特に印象深かったのがRITSベースボールクラブ対OBC高島の試合でした。まずRITSのピッチャーの投球テンポがとても良かったです。左腕でしたがコントロールが良いからテンポが良いのか,テンポが良いからコントロールが良いのか,定かではありませんでしたが,野手にとってはとても守りやすかったのではないかと思います。
次に,守備で無理に併殺を狙いにいって両方セーフという,いつも口を酸っぱくして言っている「駄目プレー」が双方のチームで発生しました。RITSともあろうチームが,そんな初歩的なミスを犯すとは正直言って意外でした。「RITSともあろうチーム」‥‥何に基づいて私がこのように表現するのか,実は根拠などないのです。人を褒めることに根拠を見出してはいけません。メンバーの顔ぶれを見ると,素晴らしい球歴の持ち主ばかりです。実際野球も上手いし,上手い人間の集合体としてのチームの強さも相応にあると思います。ただこの場面で私たちが一番学ばなければならないのは,ミスを犯したときに,そのミスに対して正面から向き合うのか,「たまたま起こったミス」という形に現実を変えて,「自分本来の力」という不安定な力に拠り所を見出すのか,この二つのどちらを選択するかによって,野球人生が大きく変わるということです。
全般的な話としては,どのチームも試合運営に慣れているな,と感じました。攻守交替やバット引きなどの手際の良さです。事務的な事柄をさっさと片付けて,いかに野球に集中する時間を長く確保することができるか,この点も今後の課題だと思います。

心のメカニズムとは

1/14の全体練習では,4時間半通してのノックを行いました。
キャプテンが“練習日記”にも書いているように,“ボールに慣れる”ことが主目的でした。休憩なしで続けたノックだったので,なかには集中力の切れた選手もいたと思います。ただ覚束ない足腰や摩耗した集中力など,要するに“体がままならない”状態での練習に必要とされる力は“基本への忠実”に尽きると思います。
自分の思い通りのプレーが出来ないときに,確かに主観的には納得が出来ないと思います。しかしもっとも基本的な要件として,その「思い通りのプレー」に疑いの目を向けてみることをしましたか。
例えば内野ゴロで,二つのアウトを取りにいって両方セーフ……言語道断です。両方セーフになった理由は,ダブルプレーを焦ったから?ではなぜダブルプレーを焦るのか?セカンドベースを見ながらファーストベースを見ているから?仮に1→6→3の併殺プレーならアウトの順番はあくまで6→3です。守備には0点か100点のどちらかしかありませんか?人生でもそうですが,何とか立て直しの効くギリギリのラインは確保するという,“及第点”を取りにいくという方法もあるはずです。確実な2塁ホースアウト,その上で1塁バッタランナーアウトという形態の守備が理想です。これがいわゆる“攻め”の守備です。いや,“攻め”というと語弊があります。“攻める”や“攻められる”という概念は心の未成熟が故のものです。野球から暴力の類推を取り除きましょう。
また,これらのプレーを実現出来ないことは「下手」でしょうか。あるプレーに対してそれが実現出来たことに「上手い」という,あるいは実現できないことに「下手」という便利な理由を付与するのは明らかに“逃げ”です。「才能」とは長い廊下の果て,一番最後の開かずの間に閉じこめておかなければならないものです。誰もが「下手」と言われることに過剰な反応を示しますが,そこには“下手”や“上手い”を“才能”と直結させる間違ったメカニズムがあるためだと思います。下手である理由をとことんまで追求し,どうしてもこれ以上理由を掘り起こすことが出来ない地点に立って初めて,「才能」に逃げても遅くはないと思います。

猪突猛進

明けましておめでとう。今年はチームとして飛躍の年にしたいです。
さっそくですが‥‥。謙虚さと弱さは違います。弱さを武器に、ではなく謙虚さを武器に練習に取り組んでください。そうすることで傲慢さではなく、純粋な強さだけが試合では最大の武器となるのです。
また私の書く拙文に対しては書き込みの形であまり反応を頂けていませんが、少しでも心に響いているものと信じて今年も発信し続けます。
そういう意味で私は本気です。勝負とは生きるか死ぬか、の二者択一です。この選択に必要なのは覚悟だけなのです。
多くの人は現実世界を前もって眺めてから、予測される結論に選択のスイッチを合わせているようですが、いま私たち達がぶつかっていこうとしている「不可能事」を、成就させる唯一の力は皆の盲目的な覚悟です!何か意見を書け、とは言いません。ただこのことを胸の底に深く刻んでくれれば嬉しいです。
今年が皆さんにとって良い年でありますように。